ドクターMの回想録
12.新人医師のバイトシリーズ(その4) 世の中には色々なバイトがあります。アルバイトニュースに載っているような健全なバイトがある一方、ちょっと人には話せない内容のバイトも存在するのです。 あなたの知らない病院の地下のミステリーゾーンにお連れ致しましょう。 医学部の学生は専門課程に入ると解剖実習という関門が待っています。数人のグループで1体のご遺体を半年ほどかけて解剖して行きます。1学年の学生数は100名ほどですので5人のグループとしても1学年に20体のご遺体が必要です。 さて、感の良い方はもうお察しが付いたかも知れません。 日が長くなってきたとは言え、この季節の7時はすっかり日も落ち夕闇が迫っていました。蛍光灯の白々とした明かりに照らされひっそりしたリノリュームの長い廊下を私たちは解剖学教室のA講師の研究室に向かいました。すでに他の職員は帰宅してしまったようで廊下の両側に並ぶ研究室には人の気配もなく、自分たちの足音以外は何かの機械が動くブーンという低い音だけが闇の向こうから聞こえるのみです。 数日前、うちの教室の講師から「良いバイトがあるんだけど」と呼び止められました。一般の学生や職員が帰った後の夜中の仕事になるみたいです。「あさっては仕事を早めに切り上げて夕飯を食ってから夜7時に俺と同期の解剖のA講師の研究室に行きなさい。1人では寂しいだろうから、後輩のBも連れて行きなさい」だそうです。寂しいバイトなのでしょうか。 今考えると講師の少し薄笑いを浮かべた顔からして何か怪しげな雰囲気が漂っていました。そのときに止めておけばよかったのですが結構なバイト料に、つい「わかりました。」と答えてしまいました。 「おお、待ってたよ。」何か書き物をしていたらしいA講師は、そぐに手を止めて明るく私たちを招き入れてくれました。「実はね、この前まで勤めていた助手が急に辞めることになって困っていたんだ。内容は聞いてるよね。」聞いていないと答えると大笑いしながら「まあいい、ついてきなさい。そこに白衣とマスクがある。」 研究棟地下の関係者以外立ち入り禁止の部屋の、さらに奥の厳重に施錠されたスチールのドアの向こうにその施設はありました。地下に降りて行くに従ってホルマリンの臭いが徐々にきつくなっていたのですが、そのおおもとはこの部屋にあったようです。ドアの横のスイッチを入れると瞬きながら一斉に蛍光灯が点灯しました。大きなその部屋はお風呂場のようにタイル張りで、中央に木の板でふたをされた、これまた銭湯のように大きな風呂桶がありました。 「浮いてきたヤツを時々沈めてね。手袋はそこにあるから。」 噂には聞いていましたが、本当にこんな仕事があるとは驚きました。 解剖実習に使用するご遺体は「献体」と言って死後自分の体を医学の発展のために役立ててもらうため病院などに寄付するように遺言されたご遺体です(献血の全身版ですね)。 「浮いてきたヤツを時々沈めてね。手袋はそこにあるから。」A講師はこともなげに木のふたを開けながら言いました。 「え゛ー、手でですか?」 棒で突っついたりしてバチ関係などは当たらないのでしょうか。突っついて壊れたら中から何物かが出てきたりしないのでしょうか。本当に完全に亡くなっているのでしょうか。こんな部屋の隣で仮眠など出来るのでしょうか。仮に寝たとして金縛りなどにはあわないのでしょうか。 呆然としている私たちを残して「じゃ、頼むね。」A講師は明るく言い残すと部屋を出て行ってしまいました。 「先輩、鍵しまってますよおお」ほとんど出口近くまで後ずさりしていた後輩が急に大声で叫んだので、辛うじて残っていた残り20%の腰の力も完全に脱力しまいました。 話が怖くなってきましたので、ちょっと話題を変えましょう。 都市伝説というのをご存じでしょうか。マクドナルドのハンバーガーにはミミズが使われているとか、ピアスをしたら失明したとか、メンソールタバコはインポになるといった類のあれですね。 このような非合理的な、しかし説得力のある(ように見える)解説付きのお話を世間は大好きです。 記憶に新しいところでは人面犬、口裂け女のように都市伝説は徐々に形を変えながら、さも本当らしく流布して行きます。当然医学部のような閉鎖的な社会の噂もパワーアップして語られることの多いカテゴリーです。 さて、感の良い方はもうお察しかも知れません。 新人医師バイトシリーズ(その4)解剖教室のお仕事という話は、まったくのフィクションです。都市伝説に多少の脚色を施して書いた、真っ赤な嘘八百です。 1.ホルマリンプール 2.バイト 3.高給 以上のような検証結果より嘘っぱちということがおわかりになったでしょうか。恐ろしい結末を期待していた方、ごめんなさい。 |