ドクターMの回想録
16.ERシリーズ(その1) 暑い日が続くと、ある夏の日ことを思い出します。 私の所属していた大学では形成外科医は研修の一環として必ず一般外科の修行をしなければならず、私は198×年の春からある病院に外科の研修医として派遣されていました。東京近郊にあるこの病院は20以上の診療科と400床のベッドを持つ中堅病院で、24時間どのような急患でも受け入れるのが売り物のERのような所でした。事実若造の私でさえ執刀症例数は消化器の癌から虫垂炎まで年間約200例、助手として立ち会った手術も優に100例を超え、毎日が手術三昧の日々でした。医師として駆け出しの私によくここまで勉強させてくれたものです。 この日も朝からうだるような暑さでしたが夕方になってもいっこうに涼しくなる気配もなく、そのまま当直時間帯に突入しました。救急当直は外科系1名、内科系1名、小児科1名の3人体制ですが、緊急手術等に備えてそれぞれの科のドクターがオンコール(ポケベル)体制でスタンバっています。 当直の夜は病棟の仕事も一晩中出来るのでカルテの整備や注射の指示などを入念に行い、救急外来からの呼び出しがあれば1階に降りて処置をするという段取りです。遠くから救急車のサイレンが聞こえてくると「内科の患者さんであってくれい」とか思いつつ、しかしたいていはハズレて降りて行くはめになります。一晩に何台も救急車が来るとサイレンの音が耳について幻聴のように、鳴ってもいないサイレンが聞こえるようになります。 外科系の急患は急性虫垂炎、怪我、交通事故などが多いのですが、土地柄、段ボール生活者の皆様も多く来院いたしました。 午前2時、「あと5分で救急車到着しまーす」救急隊から事前に電話を受けた外来の当直ナースから明るく連絡がありました。「胸腔ドレインの入った患者さんだそうです」 遠くから聞こえていた救急車のサイレンが大きくなり、やがて搬入されたようです。「では、一丁気合いを入れて行くか」書きかけのカルテを勢いよく閉じて病棟から階段を駆け下り救急処置室へと向かいました。 話を聞くと気胸どころではなく膿胸といって胸に膿が貯まる病気でどこかの病院に入院しドレインを入れ洗浄していたのですが、こともあろうかライターの火でドレインを焼き切って病院を脱走。そのまま、公園で寝泊まりしていたらまた膿が出てきたということです。 恐るべき人がいるものです。放っておけば死に到るかも知れない状況です。その場でもう一本ドレインを挿入し還流洗浄、即入院させて毎日洗浄を繰り返すことにしました。結局処置に時間もかかり朝まで眠れない当直でした。 翌日から毎日洗浄し、数週間たってようやく膿も出なくなったのでドレインを抜去し、抗生剤の点滴のみに変更しました。 翌朝、ベッドに点滴の注射だけを残して彼の姿は忽然と姿を消していました。今回はドレインを抜いてからに進歩しましたが、やはり彼は病院のベッドより段ボールのおうちを選んだようです。 うだるような暑い暑い夏の夜の出来事でした。 |