ドクターMの回想録
2005年W高校同窓誌に寄稿した文章です。 晴耕雨読、夜明け前 W高校を卒業して、早30数年が経とうとしている。今年、われわれW高校25期卒業の朋友はそろってめでたく半世紀を生きた歴史上の人物の仲間入りを果たしたわけである。 「子曰、吾十有五而志乎學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而従心所欲、不踰矩」 言うまでもなく論語の言葉だが、名門W高校在学中に果たして学問に志ざしたのか、果たして30歳で立ったのかどうかはおそらく物心も良く付いていない時期だったためか記憶も定かではない。50歳ともなればそろそろ惑ってばかりもいかず天命も少しは知らねばならんぞと思うこの頃ではある。 「天命を知る」の意味、解釈は哲学者に任せるとして少なくとも60歳になって孫あたりから「赤いちゃんちゃんこ」などを唯々諾々と着せられても心動じることのない正しいボケ老人に立派に成長するまでは、せめて自分の人生の使命や責任と言った死ぬまでに自分でつけなければならない決着にカタを付けなければならない10年にさしかかったと言うのは確かであろう。 しかしながら40代の宿題は未だ8月27日くらいの割合で残っており、惑うこと甚だしい50代新人という有様なのである。 長年やってきた天から与えられた生業は世のため人のため、女房のため、子のため親のためではあったが、一つだけポッカリ抜けていて忘却の彼方に置き忘れていたのが「自分のため」であった。50になったら少し周りを見回す余裕くらいは持って、そろそろやり残した自由研究にでもチャレンジしてみましょうよ。 という訳でわれわれ中高年冒険団が目指したのは「偽ダッシュ村」の開村計画である。 男は中高年になると田舎の晴耕雨読の生活にあこがれを持ち、女は逆に都会の暮らしに馴染んで行くと言われている。そのセオリーにすっぽりと嵌りこんだわれわれは仲間で飲むたびに「田舎、田舎」と病人のうわごとのようにつぶやきながら酒を酌み交わした。 異常気象、夏真っ盛りの7月、勇躍われわれは村に向かった。眼前に広がる300坪はあろうかと思われる土地(本家には大幅にかなわぬが)には減反政策のためか伸び放題の夏草が強者の夢の跡を物語り、われわれの作業を今や遅しと待ちかまえているかのように見えた。熱中症寸前の老体、弱体、巨体にむち打って力を合わせて夏草を刈ること数時間。まだ土地の何分の一かの草も刈れていない状態ではあったが、その無為の労働の心地よいこと、流した汗の多いこと、尿の濃縮されていたこと、ビールのうまかったこと。われわれの方向性は間違にあらずとの認識を新たにしたものであった。 今現在、村民は少なくはあるが建築技師、デザイナー、社長、医師、飲み屋のお姐さん、雑誌の編集者など種々雑多な人間の集まりである。業種を超え、性別も超え、ひたすら無償の作業に勤しむスロウな時間は金を得んが為の生業(なりわい)とはひと味もふた味も違う、薄味ではあるが深〜い味わいの時間ではある。 今年中には母屋の基礎工事完了予定。 と言うことでわれわれの壮大かつ遠大な計画はまだまだ晴耕雨読の実践にはほど遠く、夜明け前どころか真夜中的状態ではあるが、来年の同窓会報にはほぼ完成した村の全貌を明らかにしたいものである(と願っている)。 |