ドクターMの回想録

アフリカ紀行(2)

198×年4月、私と友人のOは2人、アフリカへと旅立った。
行く先不明、旅程不明のあてのない旅だった。
ケニアのビザは取ったが他の国のは時間の関係で無理。到着当日のナイロビのホテルのみを予約して出発。行き当たりばったりではあるが、何とかなるだろう。
医師になる前夜のコトである。そのときの旅日記が残っていたので、この際デジタル化しておこうと思う。

(カッコ内は後で付け加えた独白です。またお金のレートなどは当時のものです。)



4月21日

9時ホテル発。モンバサ行きのバス(Ksh25)、正午モンバサ着。
ザンジバル行きの飛行機のreconfirm OK。近くの喫茶店でジュースとサモサの昼食。
最近暑いためか食欲がまるでない。少し頭痛もするし、めまいもある。
昨夜は凄い蚊の攻撃に悩まされた。マラリアかなあ。暑い。クーラー欲しいよお。

ホテルに帰ってシャワー浴びて昼寝すると少し良くなった。熱中症だったみたいだ。
明日はザンジバルだ。あそこも暑いだろうなあ。

(暑い好きの私が暑がっています。相当暑かったのでしょう。)


4月22日

9時、ABC lodge発。
2時に空港なので時間がある。それまで荷物をfarway社に預けることにする。
街で買い物。負けるだけ負けさせる。。1/3〜1/5は当たり前。

午後1時、モンバサ空港に向かうバスに乗る。3時15分発のザンジバル行き490便を予約していたが、どうも様子がおかしい。
少し待てと言うだけで要領を得ない。挙げ句の果てにover bookingしていてわれわれは乗れないと言う。友人Oが怒って「国際問題だ」なんて係の人に言ったが、乗れないものは仕方がない。
残る方法は他の会社の機でダルエスサラームまで行って船でザンジバルに渡るしかない。またまたモンバサの街に帰り、Kenya airをキャンセル。明日のダルエスサラームまでの機を予約しに行く。

今日はあまりに疲れたので、あこがれのCastle Hotelに泊まることにした(Sh950ツイン)。
エアコン、バスタブ、電話、テレビが付いていて日本のホテルと変わらない。今夜はゆっくりと体を休めることにしよう。今日2回、M.Kにoversea callするも留守。明日もう一度かけてみよう。

夕食も今日は豪華にサファリビストロという所で食べた。洗濯して床につく。

(何度もM.Kに電話しているのは医師国家試験の出来が気になっていたからです)


ダルエスサラーム、タンザニア

4月23日

朝一番に日本に電話するも彼女は朝から出かけていて留守。それだけの情報を得るのにKsh300。
朝からクーラーが効いているので気分が良い。銀行で$50両替。Air Tanzaniaに行き、チケット購入。しかしビザがないので、もしかしたら入国できないかも知れないよと念を押された。
その時はそのときと思い、思い切ってダルエスサラームまで行くことにする。9時半発のフライト。
もし入国出来ないときはナイロビに逆戻りとなる。
夕方まで暇なのでNuyali beechに行く。ここで象牙(?)の飾りをお土産に10個ほど買う(Ksh100)。

4時ごろまで暇をつぶさなくてはいけない。beechで昼寝のあと、マタトゥで街へ。
保健所、図書館を見学のあとCastle hotelのテラスで休憩。そこである黒人と知り合いになった。彼はナイロビに住んでいて、われわれがナイロビに帰ったときは電話してくれ、案内すると言う。
6時すぎバスで空港へ。今度は乗れそうである。通関もまずは何ごともなくPass。
いよいよタンザニアである。

午後10時30分タンザニア着。
いよいよ通関である。まずはYellow card check OK。次にPassport contorol。この時ビザがないため問題が起こるはずであった。
ところがます$50両替せよと言う。その後ビザが買えるということのようだ。
何とTsh130=325円!! ようや通関である。

(手続きの間、近くには自動小銃を持った兵士なんかも沢山いて不安だった)

いよいよタンザニアの地に足を踏み入れた。
しかし、もう時間は午後11時30分、バスもなく、しかたなくタクシーに乗る。タクシーは2人でTsh500と言う。ホテルを探し回るが、どこもFull。10個目のキリマンジャロホテル(最高級ホテル in Tanzania)、でやっと部屋があった。そこで運ちゃん、もう800出せと言う。
金のお価値も良くわからぬまま、まあいいかと言うことで合計Tsh1300出す。
キリマンジャロホテルは1人$22。まあまあだが中身は中級。でもお湯とエアコンはある。明日は、タンザン鉄道の予約をする。

(バスタブの栓がないので困った。1Tsh=約2.5円)


4月24日

アフリカ滞在2週間。
タンザニアは社会主義国家である。モンバサより若干こぎれいな街ではあるが、やはり物資は乏しい。ただ貧富の差は少ないようで乞食も少ない。一般に着ているものもこぎれいである。東アフリカの弱小国家では社会主義の良い所と資本主義の悪いところが極端に出ている気がする。

キリマンジャロホテルとチェックアウトしすぐに宿探し。幸いSkyway Hotelに空室があり、すぐにチェックイン。その足でザンビアのビザを取りにOfficeへ。しかし、ビザがおりるまで1週間かかるという。しかたなく、とりあえずタンザン鉄道でボーダーまで行ってみることにした。鉄道員風の親切なおじさんにダルエスサラーム駅まで連れて行ってもらう。


DAR ES SARAAMの街並み

ビザを調べることもなく、カピリムポシまでのチケットを入手(一等Tsh2000)。
28日発なので数日の余裕が出来た。その間ザンジバルに行こうとAir Tanzaniaに行くもまたしてもFull。よくよくザンジバルには縁がない。
夜、チャイニーズレストランに食事に行く途中、あんちゃんが闇でドルをTshにチェンジしてくれると言うが、断った。その時このあんちゃんにレストランの場所を聞いたのが間違えで、食事中もう1人仲間を連れてレストランまで押しかけてきた。
「よし、あの手」私が$を持っているが英語の出来ないカラテマスター、Oは英語が出来るという筋書きである。
彼らは私が少しづついらだってきている(演技)のを見てビビリ出した。Oにしきりと私を説得して$を交換させてくれないかと頼んでいる。
"He is very angry"最後に言うとついに彼らは"See you tomorrow"と言って帰っていった。
嘘つき一座の興行でした。

(だいぶ旅慣れてきて、不審者にはよく使った手)


4月25日

火曜(28日)に汽車に乗るので月曜の夜の宿をSkyway Hotelに予約。
ケニアのビザの期限が心許ないのでimmigration officeで1週間の延長手続きをする。officeは何となく公衆トイレみたいな所だった。約1時間待ってようやくOK。これで少し安心である。レンタカーを借りようとSTSという所に行ったが、空きなし。そこで偶然サファリツアーが空いていて、あわただしくも1時間後に出発となった。
Skyway Hotelを明日明後日と予約し、出かけることにする。

同乗者はドイツ人夫婦とインド人家族。12時30分出発。順調に行くかと思いきや3時ごろ突然ブレーキの故障でストップ。約1時間半の停車。
いやはや、アフリカは忍耐と体力の国である。7時ごろlodge到着。早速風呂に入ってから食事。今日も疲れました。

ドイツ人は化学者らしい。


ドイツ人夫妻と
真ん中は友人O


4月26日

朝食後8時よりサファリ開始。


MIKUMI NATIONAL PARK

ミクミはアンボセリとだいぶ植物相が違う。ブッシュが多く、赤々とした大地があまり見えず、かなり肥えた土地に見える。まるでゴルフ場のよう。


広大なサバンナ

いろいろな動物に出会う。
キリンとシマウマは仲良し。シマウマとシカも仲良し。水牛は孤独。


トムソンガゼル


象に注意しなければ

昼食に一旦ロッジに戻り2時ごろダルエスサラームに向け出発。だんだん暑くなる。
途中ドイツ人夫婦はドドゥマに行くと言うことで下車。われわれは午後6時ごろDSM(ダルエスサラーム)に到着。

ここDSMは、というよりタンザニアではTshは凄く弱く、$が強い。従って$で支払うホテルなどは安いがTshで支払うと高いようだ。タンザニアはインフレが激しい。
明日は地図や土産物を買う予定。


4月27日

今日は一日暇である。ザンビアに入った場合、ナイロビまで帰る手段、日にちを考えておかなければならない。ザンビアからの飛行機の時間表を入手するために街を歩き回った。
地図は売っていない。
$で払う場合、比較的安いがTshで払うと高い。コーラ1本Tsh20〜30(50円〜100円)もする。

(コーラはだいたい10〜30円程度でした)

日中は砂埃を猛暑でいまにも熱中症になりそうな位である。恐ろしい国である。
しきりと$changeの声を掛けられる。よほど$が欲しいのだろう。いつどうなるかわからないTshはほとんど紙くず同然。

午後からキリマンジャロホテルで買い物をしようと$50両替。ちょっと大きな額になるが思い切って交換しようと思う。が、3時からのオープンと言うことで今、待っているところ。

まったく面倒くさい国である。いちいち使った金を計算しいぇいないと困ったことになる。今の時点でキャッシュ%30ほどが行方不明。困った。
タイムテーブルによるとルサカからモンバサないしダルエスサラームには飛行機は頻繁にあるようだ。なんとか期限までにナイロビには帰れそうな感じである。

夕方フェリー(ただ)にて対岸へ渡る。そこで現地の人と話をしてから帰る。暑い。
一旦ホテルに戻ってシャワーを浴びてから中華料理店へ。チャーハン、紅茶などでTsh300。
帰ってからこのところ2〜3日続けている帰りのルートについての話し合いを行う。
ルサカまで行ってナイロビに直接帰るか、DSMに戻ってナイロビに飛ぶか、いろいろと方法はあるのだが。。

明日はいよいよTAZARA(タンザン鉄道)である。

(ナイロビからずーっとあてもなく南下してきたのですが、どこかで引き返してナイロビに戻らなければ帰りの飛行機に乗れないのです)


つづく

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