手術1



「それではただいまより手術を始めます。術式は膵頭十二指腸切除術。では諸君よろしく。・・・メスッ。」
なーんて実際には絶~対言いません。恥ずかしいもん。
「んじゃあ、おねがいしま~す」の一言かなあ、始めるとき。

執刀医になる前は手術ってちっとも面白くありません。まして学生のころ、実習で経験する手術(の助手)などは苦痛以外のナニモノでもありません。
面白い、面白くないで評価するのは不謹慎かも知れませんが、疲れるし眠いし、ろくな事はありません。

「手洗い」というのをご存じでしょうか。トイレじゃないですよ。
手術は無菌操作で行いますのでばい菌の付いた手では具合が悪く、滅菌の手袋をするにもかかわらず手自体も滅菌状態にしておかなければいけません(万一手袋がやぶれてはいけません)。

まず手術室に入るときからして面倒くさい。ロッカーでパンツ一丁になり洗濯したての術衣を着ます。その術衣にも差別があります。ドクターは濃い緑、学生はさえない褪せた水色と差別されています。洗い立てのちょっとじゅくじゅくしたスリッパを履き、使い捨ての帽子とマスクをかぶり、ようやく手術室の廊下に出ることができます。廊下沿いにはステンレスで出来たいくつもの手洗い場があり、その前では医者どもが熱心に手を洗っています。

センサー付きの蛇口からは滅菌水が流れ出ます。まずこの水で良く手を洗います。亀の子たわしみたいなヤツに逆性石けんを付けて肘までゴシゴシ擦ります。学生の頃などはウインドで日焼けした後の月曜なんて痛いのなんのって。
指の間、爪の中までゴシゴシゴシゴシ、約5分間洗い続けます。この間も両手は絶対に何かに触れたり腰より下に下げてはなりません(そうなったら最初から手洗いやり直し)。
いったん亀の子たわし(のようなブラシ)をぽいっと捨て、滅菌水で洗い流した上でブラシ入れから滅菌亀の子たわしを取り出し、もう一度同じ行程を繰り返します、これも5分。この時点で私の日焼けした前腕は無惨にもつぎはぎ模様となります。
またもやブラシを替え、今度はイソジン液でブラッシングをします。手を挙げたままでいるのは洗ってない肘から上の水滴が肘下に流れ落ちて汚染するのを防止するためです。きつい。

ようやくイソジンブラッシングが終わると滅菌水で洗い流し、もう一度イソジン原液をべっとり塗って消毒。さらに洗い流しておしまいです。
近くで忙しく働いている看護師さんを遠慮がちに呼び止め(学生や若い医者などは無視されちゃったりします。怖)、「すいませ~ん。着せてくださ~い」と言うと、まずは滅菌したタオルを2枚くれます。そのタオルを腕に巻き付けて手先から肘に向かって拭き上げて行きます。タオルはまたぽいっと捨てます。
この時点で既に手を挙げている時間は30分くらいになります。

次に毒ガスで完全滅菌した手術衣を出してくれますので手術衣の外側(患者側)を絶対に触らぬようにして着ます。私は手術衣の内側(私側)のみを持ち、看護師さんに介助されながら着させてもらうわけです。次は滅菌した帽子を使い捨ての帽子の上からかぶせてもらい、マスクもしてもらって、最後に滅菌手袋をします。

おっと、よくテレビでみる眼鏡をテープで留めるのは事前に自分でやっておきます。
手袋をつけるだけで最初のうちはやり直しだらけ、絶対に手袋の外側(患者側)をさわってはいけません。これがどんなに難しいかはやってみればわかります。
これでようやく戦闘態勢に入ったのですが、手は依然として腰より下に下ろしてはなりません。ただ、身の前側、腰より上は完全滅菌地域に指定されましたので、腕を軽く組むのは許可されます(ふう~)。
この状態になって初めて手術の術野に介入することが許されます。さてここから更なる学生の苦難が始まります。

悶絶の手術

場合によっては6時間とか8時間の手術になるわけですが、基本的には学生もずーっと入りっぱなしです。食事もトイレも水さえも飲めません。最初はまあ、興味津々というか元気はまだあるので良いですが、2時間過ぎても昼を過ぎてもちっとも手術が進展しないばかりか、ようやくどこかを縫合したと思ったら違う場所の切除に移ったりして気を失いそうになります。

幸い手は術野に置くことが出来ますのできつくはないのですが、今度は立ちっぱなしの足がつらくなってきます。手術のお手伝い(腸をへらのようなモノでよけておくとか)をさせてもらっている間はまだ緊張感でしゃんとしていますが、何もないときは睡魔が襲います。でも時々、「学生っ、この術式はなんじゃらほい?」とか質問されるので油断もすきもありません。

手術はたいてい術者、第一助手(前立ち)、第二助手、学生、機械出しの看護師が清潔(手洗いをした人)で周りに麻酔科医、外回りの看護師が1チームとなっています(たまに麻酔科を廻っている同級生が麻酔の助手についていることもアリ)。この中で学生はもっとも身分が低いので邪険に扱われても仕方ありません。じゃまにならないようにしているのが精一杯です。こんな学生時代を過ごしましたので、優しい私などは術者になってからは学生には極力手術を手伝ってもらうように気を遣っておったわけです。
さて永遠に続くかと思われた手術も山を越し、終盤に近づいてくると術者は徐々に元気になって行っても、学生は意識も朦朧とした状態で「早く終われ、早く終われ」と頭の中で呪文を繰り返すばかりです。
ようやくして閉腹となり、術者はじめスタッフ一同が手を下ろします(手袋を脱ぐこと)。

術者、第一助手が手術室を去った後、学生教育担当の第二助手が良い人であれば「学生さんはもう良いよ」とか言ってくれて解放されますが、そうでない場合は患者さんが麻酔から覚め、病室に帰るまでつきあわされてしまいます。しかし考えてみれば第二助手(この患者の担当医)というのもぺーぺーの医師でこの後、病棟では術後管理や点滴の指示、家族への説明、手術記事の記載など死ぬほどたくさんの仕事が残っておるかわいそうな医者なんです。学生につきあってもらいたい気持ちもわかります。
へなへなと座り込む学生は10分くらいは身動きもできない瀕死の状態です(本当は座り込むような不作法も許されません)。ようやく立ち上がり手術衣を脱ぎ捨てランドリーバッグに放り込んで立ち上がりました。
すぐに帰宅できる訳ではありません。もうすぐ夕方の病棟カンファレンスが始まります。
「早く6年生になりた~い、腹も減ったあああ。こら新米医者、たまにはめしくらいおごれや。」(5年生が臨床実習ですね)