研修医の月3万円という恐ろしい低賃金に、本気で生活保護を受けようと申請した友人もいますが、あえなく却下されました。医師という肩書きがあるだけで通用しないそうです。
当然食べていけませんので、入局してからしばらくは先輩のお尻にくっついて夕飯をおごってもらうのが常です。まあ、先輩諸氏もそのような歴史をたどってきたのでおあいこなのですが。
入局3ヶ月もするとアルバイトの口がまわってきます。これでようやく人間らしく自分でご飯が食べられるようになります。そのような半人前の医者が行けるアルバイト先は夜中に急変など殆ど起こらない老人病院や献血センターなどです。とは言っても最初に当直に行くときは決死の覚悟です。持参すべきは「研修医の当直マニュアル」「今日の治療指針」などのマニュアル本を数冊と、忘れては行けないのが先輩の連絡先を書いたメモです。当時は携帯電話もありませんでしたのでその夜先輩が居るであろう飲み屋の電話さえメモします。ある当直先での出来事です。
医者になってようやく半年、その病院に当直に行くのも数回目で、多少の慣れもありました。今までその病院では夜中の起こされることもなく一晩寝るだけで月給ほどの収入が得られるのは超魅力でした。
「お疲れ様で〜す」、病院に着くとすぐにナースステーションに声を掛けます。「今日は患者さん、変わりないですか?」
「3号室のおじいちゃんがもしかして今夜あたり危ないかも知れませんねえ。熱発もあり呼吸状態も悪いようです」
「・・・(何、今日に限ってえ)ご家族には?」
「あまり苦しめたくないので無理な延命措置はしないでくださいとのことでした」
「はあ」
診察をすると確かに呼吸状態は悪く、意識もありません。
当直室に戻ると平静に装っていた今までの顔とはうって変わってあわてて持ってきたマニュアルを開いたりします。夕食を食べシャワーを浴びますが、患者さんが気になって落ち着いておれません。時々ナースステーションを覗いては患者さんの様子などうかがっています。そうこうしているうちに真夜中近くなり、ナースの交代時間が近づいてきます。深夜帯に入ったのです。
ちょっとうとうとしかけたとき、当直室の電話が鳴りました。飛び起きて電話を取ると「3号室の○○さんが急変です」
駆けつけると既に看護婦さんが心臓マッサージを開始しています。
あわてて交代。別の看護師さんは手にカテラン針を装着したボスミン入りの注射器を持っています。(ひゃ〜、心腔内注射をしろってか)
心腔内注射というのは長〜い針を付けた注射器で胸の上から心臓に直接強心剤を注射することです。
積極的な延命措置は必要ないとはいえ、家族の方が到着するまでは死なせるわけにはいきません。なんとか臨終には間に合ってほしいものですが幸いご家族がすぐに到着しました。
心電図には心臓の動きを示す波形は出ているのですが極めて弱く、おじいちゃんの命の残り火の弱さを感じさせます。
私にとっては初対面のこのおじいちゃんも80年以上の長い人生を生き嬉しいこと、悲しいこと、私の何倍も様々な経験をしてきたに違いありません。その終焉のたった数時間に関わっただけの若造が、こうして命の幕を引こうとしています。
マッサージを止めてみると心電図はかすかに、しかし規則的な波形を刻んでいます。
よしと思って聴診器を当ててみても心臓の動く音は聞こえません。また呼吸も停止しているようです。すぐに人工呼吸を再開。
しかしおじいちゃんの胸に触れている私の手は徐々に体温が低下しているのを感じていました。
そう、おじいちゃんはもう旅立っていたのです。
「ご臨終です」などドラマでは言いますが、実際にはそのタイミングは難しいものです。ましてや近くにはご家族が心配な顔で見守っています。
「ん?」、でもふと見ると心電計は規則正しい波形を示しているではありませんか。心臓が動いているのに「ご臨終」はありません。しかし確実に体温は低下し、お顔の色も蒼白、一見して亡くなっているのは明白です。どうしよう。ご家族が見ている中で心電図が動いているのに亡くなったと宣言できる訳もありません。そのとき看護師さんがおじいちゃんの胸を小さく指さしながら私に耳打ちしました。
「ペースメーカー」
一瞬にして事を理解しました。おじいちゃんの胸にはペースメーカーが埋め込まれて入れ、亡くなった後もこの電気信号が心電図に現れていることを。見れば確かに胸の皮下に小さな四角い出っ張りがあります。
ペースメーカーと無知な私は亡くなってもしばらくの時間、無理矢理こちらの世界に帰って来るようにとおじいちゃんを少し痛い目に遭わせてしまったのかも知れません。
心電図のコードを取り外し、今度は「午前3時21分でした。力が足りずに申し訳ありませんでした」とご家族に深く頭を下げ、真摯な気持ちでお伝えすることができました。
ご家族にお伝えしたあとおじいちゃんの胸のペースメーカーを摘出し(そのまま火葬にすると破裂するので)、うっすらと死化粧をほどこし安置室で最後のお別れをしたときは、もう空は白み始めていました。
朝焼けの中でおじいちゃんの最後の1日分だけ小さく一歩医師に近づいた気がしました。
こうして死の間際の最後の一日、一期一会で出会ってお別れした多くの患者さんのご冥福を心よりお祈り致します。