読んで字の如く微小外科手術です。形成外科分野では微小血管吻合を用いた手術を指します。この「微小血管」というのは直径0.3ミリから2.0ミリ程度の血管を言い、これをつなぎ合わせて血が通うようにする技術がマイクロサージェリーです。
もちろん1ミリ以下の血管をつなぐには老眼じゃない若人でも肉眼では無理です。で、手術用顕微鏡を駆使して縫う訳です。しかし、像が拡大されたからと言ってうまく縫えるとは限りません。良く見えたとしても手が震えたり(拡大すればそれだけふるえも拡大)して確実な縫合は無理なのです。
入局してしばらくして日本マイクロサージャリー学会に出席する機会がありました。当時はまだ吻合血管の開存率が云々、成功率が云々と言われていたような古き良き時代ではありましたが、それでもなかなかの感激モノで「おお、これからはマイクロの時代じゃなあ」と思った記憶があります。私自身がトレーニングを始めたのは外科研修が終わった頃、ちょうどマイクロの師匠(ドクターアイ)が慶応への国内留学を終えて帰ってきたころから始まりました。
練習すると言っても人を練習台にする訳にはいきませんので、登場願うのはラットちゃんです。そのころの医局にはラットの飼育装置(小屋)はまだなかった(将来私が購入責任者になるとは知る由もありません)ため、動物センターから持って出たラットはきちんと死ぬまで面倒見なくてはなりません(いったん持ち出したら感染のおそれがあったりしてセンターには返せません)。
仕事が終わってコンビニの夕食をもさもさと食べた後、動物センターに向かいます。当時はマイクロなどをする物好きなどいませんでしたので寂しく1人で練習です。ラットをひとなでしてからお腹に麻酔の注射をします。量を間違えると簡単に死んでしまいますので慎重に投与します。5分もすると彼は朦朧として眠りにつきますので手足にビニールテープを巻きつけ、そのテープをまな板に押しピンで留めてラットを仰向けに固定します。しっぽなんかも邪魔なので、よけて固定します。ラットの内ももあたりには1ミリ近い大きな血管がありますので、初心者はこれを使います。その部分の毛を剃ってから皮膚を切ります。メスなんて高級品は使用せず、ハサミで切開。
お肉なんかをわけて行くと筋膜の間にトクトクと脈打つ一対の血管が見えてきます。大腿動静脈です。これを上手に剥離しクリップをかけます。クリップというのは洗濯ばさみの極小版で長さ1センチくらい、2つがセットになっていて金属の棒で連結されています。血管の2カ所をこのクリップで挟むと真ん中をハサミで切断します。そのまま切ったのでは出血して死んでしまいます。

さて今このクリップとクリップの間には血の止まった切断された血管が横たわっているわけですが、これを縫って血流を再開させようと言うわけです。
10-0(じゅうぜろ)という太さの針付きの糸を使用します。この太さの糸は肉眼でかろうじて見えるくらいの太さで、顕微鏡の下では照明の上昇気流で浮かび上がるほどの小ささです。この針糸を使用し直径1ミリの血管に対し8針から10針縫います。直径1ミリの血管の外周は3.14ミリですから0.3~0.4ミリに1針の計算です。顕微鏡で拡大しているので大したことはないのですが、初心者は手が震えたり、きれいに内腔を維持できなかったりして、結局血液が流れなかったり凝固したりして失敗します。
そんな練習を来る日も続けました。もとから小器用さにかけては定評のあった私ですが、たった1人の練習は寂しいし情けなかったです。さて、練習が終わるとラット君のお世話です。麻酔から覚める前に切った腿の皮膚はきちんと縫い、寒くないようにヒーターなど入れて秘密の小部屋に隠します。ようやく練習を終え、とぼとぼと暗い病院の廊下を歩いて帰ったものでした。