手術2




「おはようございます。さあ、今日は頑張りましょうね」
第二助手の朝は早い。9時執刀開始の手術だと患者さんは8時ごろ手術室に搬入になります。搬入になる前に担当医として患者さんの顔を見て安心していただく必要があります。また手術に備えて事前に点滴のルートを確保しておきます(太い針で点滴しておく)。
患者さんをストレッチャーに乗せたら看護師さんと一緒に手術室の患者搬入口まで同行し、見届けたら直ちに更衣室で着替えて決められた手術室に直行です。すでに麻酔科の先生が待機しており「おはようございます、よろしくお願い致します」とあくまで低姿勢でご挨拶。

やがて患者さんのストレッチャーは手術室の看護師さんにバトンタッチされて手術室に運ばれてきます。若輩者の第二助手は看護師さんが患者さんを手術台に移すのとかも手伝いながら「学生、遅いじゃん」とかドクターより遅い学生に心の中で怒ったりしています。
ようやく学生も現れ、「ばかちん、俺より遅く来るなよ」など医者風を吹かせたあと「よし、じゃあ遅くなるから先に手洗いをしてきなさい」などと指示します。何しろ自分より身分の低い人間がいない訳ですので学生に威張るしかありません。
その間も麻酔の準備はテキパキと進んでいます。

麻酔科医というのは外科の新米医師にとっては恐怖の存在です。麻酔をかけてもらわないことには手術は始まりません。何か落ち度があって麻酔に支障があるようであれば執刀医にどれほど叱られるか知れたものではありません(本当は患者さんに一番迷惑を掛けるのですが、そんなことなど頭にも浮かびません)。

さて、無事麻酔の導入が行われると「手洗いしてきて良いですか」と、これまた低姿勢に麻酔医に尋ねます。「おお、行ってきなさい」(新米医師なんて虫けら同然です)
廊下の手洗い場に行くと学生がまだモタモタ手洗いしています。「不潔にならんように気を付けろよ」急に人間にもどった新米医師です。
ゴシゴシ手洗いし術衣を着ると手術室に戻ります。機械出しの看護師さんが機械を展開したテーブルをセットし始めています。

機械出しの看護師さんというのは手術中執刀医に直接メスなどの器具を手渡す役割の人で手術の内容、流れ、術者のくせなどを熟知していなければいけません。もちろん大学ですから教育のために新人がつくこともありますが、たいていはベテランのナースがその大役を果たします。ですからこれまた新人医師なんぞは足下にも及ばないほどの身分の低さです。「ごめんねセンセエ、ちょっとどいてね。そこ邪魔だからね」やんわりと言いますが、学生には聞かせたくないお言葉ではあります。
おいどんも実力付けて見返したるでごわす、となぜか薩摩弁でつぶやきます。

麻酔が完全にかかると術野の消毒です。このころになるとようやく第一助手もやってきて指示をくれます。形成外科では顔の手術が多いのでこれについて書きましょう。
顔全部をヒビテンという消毒液でまんべんなく消毒したあと、術野のみを出すようにシーツを掛けます。形成外科ではそのとき顔の対称性を重視しますので妙に引っ張られてないかなど気を付けながらシーツを掛けます。そのあとがビックリしますが、針と糸で顔の皮膚とシーツを縫ってしまいます。シーツがずれないようにするためです。

きちんとした手術の体位を取らせシーツを掛けるのが出来れば一人前と言われる世界です(シーツ賭け3年、無影灯5年と言われています)。
第一助手にOKをもらうころ執刀医が現れます。「おはようございます。よろしくお願いします」執刀医はシーツの掛け方などをチェックし良ければ手洗いを始めます。
この時点でシーツの掛け方が悪いと何度やり直しを喰ったかわかりません。

手術開始

ようやく執刀です。術者が教授クラスなら「じゃ、よろしく」の一言くらいで、その他大勢が「お願いします」てな具合です。手術は当然執刀医が中心に行ってゆくのですが、第一助手は執刀医が手術をしやすいように術野を展開したり、血を拭いたり、手術の流れが止まらぬように気を配ります。第二助手は第一助手の助手です。第一助手の手が届かない部分の術野を展開したり、ガーゼを手渡したりします。

第二助手というのは手術の時助手であるのは当然ですが、実際の重要な役割は患者さんの直接の主治医(担当医)であると言うことです。つまり、執刀はしなくても患者さんと一番身近なドクターで点滴の指示や痛み止めの指示など実務を担当する役割があるのです。
ただ、執刀はまだ無理だが第一助手は務められるくらいに修行が進むと本来第二助手なんですが、担当医が第一助手に格上げされることもあります。術野を挟んで執刀医と向かい合い、もっとも近くから手術を見られる訳ですから特等席です。

ただし、術者の手術の流れが止まるような粗相をした場合には直ちに降板です。
手術をしない者にとっては手術なんてちっとも面白くないのですが、第一助手(前立ち)になると面白いとか言っていられません。忙しくて眠たくなる暇もありません。
ようやく手術が終了となると、これからが担当医の仕事です。執刀医とかはさっさと部屋に帰ってしまいますが、麻酔が覚醒するまでは立ったまま待ちです。その間、今あった手術を思い出しながら手術記載のメモを付けたり、術後の指示書を書いたりします。学生が所在なげにつっ立っている時は「あっ、もう帰っていいよ」または「じゃ、今の手術について質問しよう」とか使い分けます。なにしろ自分より身分の低い人間は学生のみですから。麻酔を覚醒している間、時々麻酔かのオーベン(実際に麻酔を掛けているドクターに上司)が手術室に巡回してきます。担当員は直立不動です。
なにしろ麻酔科医は新米外科医にとっては神様です。

「あ~あ、早く執刀医になりた~い」・・・「学生さん、俺が仕事終わったら晩飯でも一緒に食いに行こか?」