新人医師のバイト2



献血ルームでは人が死んだりすることはまずありません。気分が悪くなったボランティアなどを介抱するくらいは医者じゃなくても(医者じゃないほうが)OKです。
そんな超初心者コース(麗しのナース付き)は新人医師の間では当然人気も高く2ヶ月に一度廻ってくるか来ないかというレアものです。しかし生活のためには週に1~2回はバイトに行かなくてはなりません。

真っ昼間から大学を離れられる献血ルームみたいな優良店は超まれで普通は病院の仕事が終わった後、バタバタと明日の朝までの当直バイトに出かけます。
当直ともなれば入院患者さんに何事か発生した時には医師として何らかの処置をしなければなりませんので気は楽ではありません。

もちろん新人医師が行く所ですので難しい患者さんが入院しているとか、急患が来るとかの難易度の高い場所ははじめから外されています(危なくてしかたがない)。
そんな新人が行っていたのが、ある老人病院でした。田舎の山の上にあるその病院の患者さんは平均年齢が80歳を超えるかと思うほどの高齢者ばかりです。殆どは寝たきりで、何かあったとしても無理に延命治療はしないで下さいというご家族の要望のある患者さんばかりです(だから新人でも勤まる)。それでも最初の頃は救命マニュアルを持参したり、先輩医師の電話番号を肌身離さず持ったりしておりました。

ようやくその日も病棟の指示や伝票も書き終え、その足で中古の軽トラで1時間かけてようやく病院にたどり着きました。当直ナースに声を掛けたのは7時入りギリギリの時間でした。
当直室のこたつの上にはいつものようによーく冷めた食事が用意(放置)されています。その徹底した冷め具合は、老人病院特有の芳香と相まっていっそう食欲をかき立てます。お昼以来ご飯食べてないですので、そんなことも言っておれません。お醤油系のモノをどっちゃり振りかけて食べます。

当直室はだいたい図のような構造になっています。病棟の廊下から入ると正面に引き戸があって一段高くなり4畳半くらいの和室です。この部屋が明日の朝6時までの住処となるわけです。10時くらいに、病棟の反対側にある風呂場までシャワーを使いに行き部屋に帰ってきてドアを開けると、そこに白髪を振り乱した老婆が立っているではありませんか。油断していたとは言え、腰が抜けるほど驚きました。正直言うと腰の約半分は確実に抜けました。

たじろぎながらも「お、おばあちゃん、ここは当直室だから病室に帰ろうね。(聞こえてるのかなあ)」私は優しく彼女を向かいの病室に連れて行きました。
やれやれ、そこら辺に抜け落ちていた腰を拾い集め、這うようにして当直室に帰ってきました。

今の出来事をナースステーションに電話で報告した上、再度の老婆の来襲を未然に食い止めるべく廊下に通じるドアにはしっかり施錠しました。
あと6時間。

その後は何事もなく明日のカンファレンスの準備などをして布団を敷いて寝てしまいました。その夜は患者さんに急変もなく、起こされることなく朝を迎えました。
帰る準備を整え引き戸を開けたとたん、昨日半分ほど抜け、苦労して接着した腰が今度は全部抜けました。

ど、どっから、どうやって入ったんじゃい?!?!。ばあちゃ~~んっ。
夜中もここに黙~って座って居たわけ?
あ゛~も~。当直室の老婆をそのままにダッシュで大学に逃げ帰りました。
90歳の人間が100人集まって合計9000歳くらいになると、その力に不可能というモノはなくなるんでしょうか。

南無阿弥陀仏。