腕の記憶



形成外科の緊急手術というのはたいてい夕方入ります。仕事をしていて気を抜いた瞬間とかに巻き込み事故などが起こることが多く、その時間帯が夕方ということです。ですから休みの日、油断をしているとテニスコートでポケベル(古い)が鳴ったりします。

その日の事故は仕事中の事故ではなかったのですが、やはり夕方起きました。車の助手席に乗っていた16歳の少女が窓から出していた腕を走行中何かに引っかけて怪我をしたらしいです。救命センターに搬入された少女の顔は青ざめてはいましたが一見大した怪我ではないように見えました。しかし、あとで届けられたモノを見たときに事の重大さがわかりました。その届けられたモノとは少女の左の腕そのものだったからです。

腕は上腕(二の腕)の部分から完全に切断され、断端には上腕骨、腱などが引きちぎられて残っています。これをいったいどうやって治療すると言うのでしょうか。形成外科のみでは対処不可能のようです。整形外科とも協力し再接着を試みることにしました。
まずは、全身状態のチェックです。長い時間全身麻酔をかけることになりますので、麻酔科に依頼し、緊急手術の手はずを整えます。

約1時間後、麻酔科のOKが出て手術室に搬入になりましたが、形成外科ではその1時間の間も休んではいられません。取れた腕の断端の処理をしなければなりません。まず良くブラッシングし傷口についた泥などを洗い流し清潔にします。次に顕微鏡を見ながら重要な血管や神経を見つけ出し吻合可能な状態に処理します。

麻酔がかかった少女は肩口から数センチの所でむごたらしく切断された傷口を無影灯のもとにさらしながら手術台に横たわっています。麻酔がかかるとすぐに、こちら側の傷口もブラッシングおよび消毒をされます。まずは整形外科チームが入り、上腕骨の接合を行います。骨の接合は金属プレートなどをネジで留めながら行いますが、両方の断端を少し切って少しだけ短くなるように接合します。慎重に行わなければ周りに残っている神経血管を傷つけてしまえばおしまいです。骨の接合が終了したのは午後9時です。既に麻酔の導入からは2時間以上経過しています。

形成外科チームに交代です。整形外科の手術中も血管神経の保存に目を光らせていますが、まずは状態を顕微鏡で確認し、今度は取れた側の血管神経を処理します。骨の接合から始めているので手の阻血時間がこれ以上長くなると腕は死んでしまいます。しかし、荒っぽい骨接合を繊細な血管吻合の後に行うことは出来ません。急いで吻合血管を探します。引きちぎれているので長さの足らない部分は血管を移植します。先ほど少し短くなるように骨を接合したのは神経血管の長さが足らないのを予測しているからです。動脈、静脈を数本づつ血管吻合し、血行が再開されました。まだ縫っていない傷口からは大量の出血があり、真っ青だった指先の色もピンク色に染まっています。不要な血管を止血し、今度は神経の吻合です。幸か不幸か切断部位が上腕だったことで血管、神経も太く枝分かれする前なので吻合本数は比較的少なくて済むことはラッキーです。

すべての血管神経を吻合し終わると、再度整形外科チームにタッチして筋肉、腱の縫合をします。この時点で時刻は午前5時。さらに形成外科で皮膚を縫合し、ギプスを用いて固定します。麻酔を終了したのはお昼近くになっていました。
さて、その後腕は完全に生着しましたが、これから先が少女の戦いです。数ヶ月のリハビリを経てようやく指先が動くようになり、感覚も戻ってきました。
でも考えても見てください。何の罪もない16歳の少女がいきなり腕一本なくし、半年に及ぶリハビリです。つらくない訳がありません。何度もリハビリを拒否したりしてまわりも苦しい思いをしたようです。

その後私は他の病院に出向し、彼女のことは忘れてしまっていました。
1年ほどしてせっかく再接着した腕を切り取ったという噂を聞きました。腕は生きて、自分の体にくっついていても自分の思い通りに動かせず、感覚も鈍いのであれば、ある意味肉のかたまりがくっついているだけのようにも思えたのでしょう。そのような腕はまたよく怪我をします。リハビリをしっかり頑張り抜き自分の腕を自分に取り戻すには医師より意志が必要なんです。
むなしく切ない想い出です。